防弾少年団オフ期間、ソロ活動を本格化するChapter2へ

btsBTS
公式Twitterより

こんにちは!さこまよ(@SacchanOT7)です。

衝撃の発表があった2022年6月14日FESTAの最後のコンテンツ「防弾会食」。
私も、この日のコンテンツの最後には、ワールドツアーのお知らせか、RUN!BTSの再開のお知らせか、何か新しいお知らせがあるのだろう、とワクワクしていた矢先でした。

BTSは7月ワールドツアーを開始し、日本には11月頃来る、という噂があったこと、HybeジャパンがBTS日本コンサートに向けた人材募集を行っていたことなどから、まさに寝耳に水でした。

飛ぶ鳥を落とす勢いの彼らがなぜ。

今日は一ファンとして、今の思いと、考えていることを書きとどめておきたいと思いたち、記事を書くことにしました。

RMのインスタグラムの意味深なメッセージ

ButterとBTS

今回のオフには、前兆が全くなかったわけではありませんでした。
発表から1か月前の5月14日、RMのインスタグラムのストーリーに意味深な文章が掲載されました。
その時、私は以下のように読みました。


以下の文章はインスタグラムに掲載された文章の抜粋です。
文=音楽と置き換えて読んでみてください。

  • 歳をとる程してはいけないことが増える
  • 文を読むことは苦痛も伴うがそれ以上に得たい物があった
  • 今は文をこれ以上書かなくても生きていける。
  • 欠乏を満たして成長してきた
  • 努力して得た安定的な人生で何の文が書けるか?
  • 欠乏と苦痛から出た文だけが本物と考え、簡単な物は受け入れない自分自身の考えが問題
  • 簡単な事を嫌悪する世間の声も大きい
  • 苦痛や逆境から出る芸術にこそ価値があるというファンタジーを捨てたいけど捨てきれない
  • 本物か偽物か書いてみないと分からない
  • 到達できなくてもそこに向けて生きることしか今はできない

以前書いたButterの記事を読んでいただくとより分かりやすいかと思いますが、RMはbutterを製作した際、大衆音楽を作ることに対する苦悩を、ポップアートの哲学を応用して、自分を納得させようとしたのだと思います。

BTS新曲「Butter」のコンセプトはポップアート!コンセプトクリップを解説
BTS「Butter」のティーザーポスター、コンセプトクリップなどをもとに、込められた意味を考察。4/9公開ウィバースマガジンをヒントに、コンセプトとなっているのは「ポップアート」と考えました。ポップアートの簡単な解説とそれを踏まえたBTSの楽曲との繋がりをまとめました。

ポップアートとは、芸術は、それを解する一部の高尚な人のためだけにあるのではなく、大衆が気軽に触れられるものでなければならない、という考えのもと、上と下の境界をなくすよう試みられた芸術運動です。

また、ポップアートは工場で量産できる手法を用いて製作され、産業革命以後の大量消費社会の象徴でもありました。
Butterはティーザーやコンセプトから、まさにこのポップアートの手法を取り入れていることが分かりました。

点々=シルクスクリーン技法 の上で踊るBTS

このことから、Butterでは、「大量消費社会の真っただ中で、『ファクトリーアイドル』と呼ばれるKPOPアイドルとして、大いに突き進んでやろうではないか」という気概を歌ったのだと思います。

これを踏まえて、このRMのインスタグラムを読んで、私は以下のように思いました。

ナムさんはbutterの時に、大衆音楽を作ることに対する苦悩を、ポップアートの哲学を応用して、自分を納得させようとしたと思うけど、やはりまだ克服できてない悩みなのかもしれないな。 抑圧されていたからこそ書けた防弾の曲。売れて満たされた今、書く曲は本物ではないかもしれない。でも現在を生きること、その生身の自分を表現することこそが芸術なんだ、と、過去のような攻めた曲を書けない自分を、説得しようとしてる気がする。

これに関連して、それより前にRMがインスタグラムのストーリーで共有していた文章も思い出しました。

RMが共有した文章は、恩田陸の「はちみつと遠雷」の一節でした。

音楽は常に「現在」でなければならない。 博物館に陳列されている展示品ではなく、「現在」を一緒に「生きていく」芸術でなければ意味がない。

この時、私はこのように考えていました。

この時のツイートも、そういう意味なんだな。 広く評価を受けることで安定して満たされていることも事実。そこから社会からの抑圧を跳ね除ける”防弾”の音楽をどうやって作ればいいか、悩んでるのかな。 だから悩んで出した答えが、”悩んでる自分自身の今”を表現すること、だったのではないかと。

しかし、「防弾会食」を見て、RMがこの時言いたかったのは、今の自分をリアルに表現する「心のこもった音楽」でないと意味がない、という苦悩だったのだと思いました。

つまり、今、自分は淡々と、大衆に求められるとおりの音楽を作ることはできなくはないが、それは自分のやりたいことではない、やるべきことではないんだ、というメッセージだったのではないかと思うのです。

また別のインスタグラムも思い出しました。

butterはゴリゴリの大衆性のある音楽で、これをRMなりにどう消化するか考えた時に、行き着いた答えがポップアートだと思いますが、裏を返せば、難しい、高尚で、精神性の高い、欠乏から生まれる音楽だけが本物、と考えている節が、RM自身にずっとあるのかもしれない、と思いました。

社会からの偏見と抑圧をはねのけるBTSが、社会から評価されてしまった

前に私の夫が、Butterを聴いて一言、こう言いました。
「BTSの本質はこれじゃない。昔の韓国語曲には強いメッセージ性を感じるし、認められたいというハングリーさというか、泥臭さのようなものがあり、それがBTSの良いところなのに、Butterにはそれが感じられない。昔の曲は韓国語で何言っているか分からないけど、パッションを感じるんだ。GOGOみたいな、「金金金ー!!!」みたいな曲の方がBTSらしい!」

これが正しいか正しくないかは置いておいて、その時私は若干ぎくりとしたのも事実でした。

今思えば、Butterで「今出した答えがベストなんだ」というのは、グループ内で葛藤した結果、導き出した、自分たちを一つ、どうにか納得させるための言葉だったのではないかと。

特に初期のトラックやミュージックビデオを見て感じるのは、防弾少年団は、社会の偏見や抑圧から若者を守るというコンセプトのもと、憤りや満たされない思いをエネルギーとして昇華させて進んできたように思います。
今となっては、KPOPの頂点に立ち、Dynamite以降は世界中から認知され、果ては国連やホワイトハウスにまで招待されるような、「最高」と言われるグループになりました。
一度成功したり、社会的評価を受けて満たされてしまった人間は、びっくりするほど力が出ないものだ、ということは私自身も実体験から感じていますし、皆さんも感じたことはあるのではないでしょうか。
人間の原動力は「なにくそ!!」という満たされない思いを「昇華」することで「自己実現」したり、「承認欲求」などを満たすことにあると思います。

金銭的にも社会的にも満たされてしまった今、何を目指して頑張ればいいのか分からない、というのは誰にでもあり得る感情です。

防弾会食でRMが吐露した苦悩

伝えたいことが分からない

「防弾会食」でRMが「防弾としての曲が書けない」と言っていた時の言葉を以下に記載してみます。

僕は音楽を始めてBTSになった。世界に伝えたいメッセージがあったから。でも、ONの後、どう進んだらよいか分からなくなった。そしてコロナ禍に入り、Dynamite、Permission to Dance、Life Goes Onを出した。そして、気が付いた。グループは変わったということに。僕たちは自身の変化を受け入れなければならない。僕にとって、ONとDynamiteまではグループは僕の手中にあった。でも、ButterとPermission to Danceの後は、僕たちがどんなグループなのか分からなくなった。僕が歌詞や曲を書くときはいつもどんなストーリーやメッセージを伝えたいかがすごく重要なんだ。でも、今はそれがない。どんなストーリーを話せばいいのか今は分からない。僕はBTSが他のグループと違うと思っていた。しかし、KPOPとアイドルのシステムが持つ問題は僕たちに成長する時間を与えないことだ。音楽を作り続け、何かをし続けなければならない。朝起きて化粧をしたら、もう成長の時間は残らない。僕らの音楽や仕事だけの問題じゃない。10年で人間としても僕は変わった。だから一人で考える時間が必要だ。そうすることで思考が成熟して僕独自の何かに変化する。昔はこのプロセスと仕事を両立することができたけど、BTSとして10年生きて、スケジュールをこなして、もう成長できないと感じた。何かこの世界でやりたいことがあり、今も僕たちは自分たちのベストの地点にいて、世界に何か貢献しないといけないと感じるけど、それが何かは分からない。でも仕事は続けないといけない。僕には考える時間がない。自分は誰なのか、BTSとはどういうグループなのかを知らないといけない。僕はどうしてここにいるのか、メンバーたちは僕にとって何なのか、知らないといけない。インタビューや作詞作業を乗り切るために、グループとして進むべき道を。でもある時点から、僕はグループがどんな存在であるのか、分からないんだ。僕にとって、僕たちがグループとしてこれから何をしようとしているのかを分からないということは、大きな問題だった。グループとして、どんな方向性で行くべきか分からない。ラップマシーンになり、曲を編曲し、グループのために英語を話すことが僕の仕事になっていた。他のメンバーたちはパフォーマンスに優れているから、僕はそんな彼らと静かに歩みを共にしてきた。そうして僕の人生は続いていた。僕に割り当てられた仕事さえこなしていればグループは上手く行くんだろうけど、僕は僕自身の中に囚われてしまったように感じていた。それを少し吐き出す必要があるし、一人になって僕が何をすべきなのか考える必要がある。それなのに世界はそれを許さない。だから去年からそれを先延ばしにしてきて、これが終わったら、これが終わったら・・・と。でも、そのタイミングがなかなか来ず、メンバーたちは疲れてしまった。僕たちにとって、みんなでダンスを練習したり、ワイワイすることも、きっと楽しいんだろうと分かるし、ファンのことを考えたとき、ダンスを練習して素晴らしいパフォーマンスを披露しなければならない。大学の学園祭の動画を見ていても思うのは、僕らもこういうのをやれば皆喜んでくれるんだろうなって思うんだけど、今は、僕たちは僕たちの方向性を見失っていて、考える時間をもらって、そしてまた戻ってくる、というのはファンにも失礼だと感じるし、彼らの期待に応えられないのではないかと思う。僕らがここまで来られたのはファンのおかげなのに、ファンの期待に応えられない。

グループとして何を伝えたいのか、ということが分からなくなってしまった今、もう一度ゆっくり自分自身を振り返って方向性を模索する必要性をメンバーたちが感じているのに、それを世界が許さない。
考える間もなく次から次へと仕事が降ってきて、世間が彼らに求めるものもどんどん大きくなっていく。
求められるまま続けることもできるかもしれないけど、歌詞が書けない。
そして、音楽にメッセージを込めることをモットーとしてやってきた彼らには、真心を失った音楽を作ることはできなかった。

本当はもう少し早く立ち止まり、考える時間を持つべきだったのに、先延ばしになり、それが今になってしまった。

こういったところが、今回のオフの理由かと思われます。

やっと、やりたかったことができる

今の彼らの心境は全て「Yet to Come」に込めた、とRMが言っていましたので、再度聞いてみるとまた違って聞こえてきます。

以下は、「防弾会食」を見る前に書いた考察記事になります。

BTSのYet To ComeのMV・歌詞の考察|The most beautiful moment
BTSのアンソロジーアルバムPROOFに収録された新曲YET TO COMEのミュージックビデオ、歌詞からメッセージを考察しました。ミュージックビデオに込められた過去作へのオマージュの解説と、「ただ歌が好き」という彼らの、BTSらしい、new chapterについて考えてみました。

何か新しいことを始める前は、確かにワクワクしますよね。
彼らからしたら「ずっと欲していた、一人で考える時間」や「ずっとやりたかったことが、やっとできるワクワク」という気持ちが、あるのではないかなと思います。

これは、「7人でずっと長く続けていくための、ポジティブな停止」だという意味が、分かるような気がします。

韓国アイドル業界の闇

また、RMが韓国のアイドルのシステムにも問題があると警鐘を鳴らしているのが印象的でした。
韓国の歌番組を見ていると、本当にたくさんのグループがいます。
どのグループも完成度が高く、レベルが高いのですが、どのグループも同じように見え、どこか個性が感じられないと思う時があります。
その中で頭一つ抜けるには、血のにじむような努力が必要であることが分かります。
ハイレベルな競争が繰り広げられ、早いスパンで曲が生産され、消費されていく、そのスピードには少々驚くときがあります。
また、韓国のアイドルは寿命が短いようにも思えます。
若いうちから、「ファクトリーアイドル」と呼ばれるように、徹底的に訓練され、完成させられた「商品」として市場に売りに出される。
事務所は相当の投資をして彼らを育成するので、若くてたくさん働けるうちにたくさん働かせ、回収をしに行く、というのはよく言われていることです。

その代償からか、過去には精神を病んでしまったり、脱退するメンバーも数多く見てきました。
個人的にショックだったのは、SHINeeのジョンヒョンの死でした。

さらに、また個人的に思っていることですが、KPOPアイドルは日本のアイドルに比べて、あまりプライベートが守られていないと思うことがあります。
家をいくらで、どこに買った、などという個人情報が平気で流出します。
さらに、これもあくまでも個人的な感想ですが、芸能人や公人に対するファン・アンチファン・世間一般からのバッシングや社会的な批判が、日本のそれよりやや激しいような気もします。
芸能人に対する人権意識というのが少し違っているのかなと、より公の人に対する非難や批判が大きくなりやすいのではないかなと思う時があります。

そのレベルの高さから、今や世界的に人気があるKPOPですが、その裏面にはこうした構造的な歪みが生まれることで、アイドル本人にしわ寄せが行ってしまっているように感じざるを得ません。
現に、自分もBTSを好きになったとき、コンテンツの多さに驚き、次から次へと「供給」があることに対して、自分も「消費している」、という意識を持ったことが多々あります。

BTSの所属事務所HYBEも、今回のことを重く見ざるを得ないのではないかなと思います。
所感ですが、他の事務所などに比べて、BTSの待遇は悪いものではないとは思いますが、その人気ゆえに休みなく働いていることは事実だと思います(とはいえ、韓国社会全体がオーバーワーク気味である印象ですが)。
今回、HYBEが敢えてこのコンテンツを流したことで、当然これを見ている株主や世間の批判にさらされることは予測がついたはずですので、何らかの改善策が取られるのではないかなと推測されます。
その面で、個人的には、「よくこれを流したな~」と少々驚きもしました。

ファンの在り方とネット社会の法整備

また、これをきっかけに、私たちファン自身の在り方についても考えなければならないなと思いました。
「防弾会食」でしきりにメンバーが言っていたのは「僕たちも完ぺきではない」ということです。
SNSなどの匿名で投稿可能なメディアが普及していることもあり、芸能人や著名人に掛かる心無い言葉やバッシングなどもかなり大きな問題となっています。
ネット上で誰かを攻撃することに悦を感じている人に対しては何を言っても響かないかもしれませんが、芸能人も私たちと同じ一人の人間であることを、当たり前のことかもしれませんが、もう一度考え直さなければならないと思いました。
また、こうして道徳心に訴えるだけでなく、法整備の面からも、悪意あるユーザーについての身元特定を容易にするなど、法的な規制を現実的に検討していくべきフェーズに入っているのではないかと思います。
これは韓国に限らず、日本でも、世界的にも言えることです。
しかし、現状としては、次から次に更新されるIT関連の技術革新に行政や立法機関が追い付いていない印象です。

この課題は、今後ますます一人一人が重く受け止めるべき課題になりそうだなと思いました。

BTSとARMY

強迫観念

今回のソロ活動をメインにするChapter 2への移行を前に、自らの現在の心情をありのままに、涙ながらに伝えてくれたBTSの姿は、ファンであれば誰でも心を動かされたのではないかと思います。

BTSはデビュー当時からファンとの交流をとても大切にしてきたグループでした。
「いつも僕たちの中心にはARMYがいる」
と今回の「防弾会食」でも繰り返し語られていました。
Butterの歌詞にも「Got ARMY right behind us」というフレーズがありますし、ファンに向けられたファンソングも数多くあります。

デビュー当時は「地下から」スタートした、と彼らはよく語っています。
今回のProofアルバムに収録された「タリョラバンタン(走れ防弾)」の歌詞でも、「WE, from the bottom」「両足をガソリンにして、ひたすらに走り続けてきた」、という部分が印象的でした。

辛い練習生時代に、「デビューをしたらすぐに報われる」と思っていたのも束の間、デビュー後も心無いバッシングや非難にあり、バラエティ番組での扱いが良くなかったり、音楽番組でもフルコーラスを歌わせてもらえないことも多かったといいます。(参考
そんな時でも、ファンが彼らを庇ってくれたから、ここまで来ることができたということは、彼らはしょっちゅう口にします。
ホワイトハウスに呼ばれた際も、RMが「これも皆さんのおかげ」とすぐにメッセージを出しました。

それくらい、彼らにとってはARMYの存在は大切なものだと分かります。
しかし、裏を返せば、「ARMY」という鎖を自らまとい、一種の強迫観念のようになっている部分もあるのではないか、と常々思わされるのです。
手に「ARMY」の文字のタトゥーを入れたジョングク。
何かにつけて「ARMY」のおかげ、と口にするメンバー。

「ファンの期待に応えないといけない」という言葉が何回もRMの口からも出てくる一方で「僕たちは完ぺきじゃない」と、何度も繰り返されました。

彼ら自身の中にある「ARMY像」というのが、いかに重く、ここまでくると十字架のようになってしまってはいないか、そう感じました。

7のタトゥー

また、7人揃うことに「異常なまでに」こだわる彼ら。
ソロ活動をするにあたり、メンバーは「友情タトゥー」を体の一部に、全員で入れることにしたと言います。
文字は「7」です。

タトゥー

メンバーインスタグラム(左、中央)、音楽番組終了後メディア写真(右)

最初は、「わ~!すごい!絆があるんだね!」と単純に感動したのですが。
・・・自分に置き換えてみると、「ちょっと重い」と思ってしまう気がします。
ソロ活動をしてみて、やっぱり心変わりして一人でやっていきたいな、と思うかもしれません。もう存分に稼いだし、そろそろ幸せな家庭を築いて働かないで南の島で暮らしたいな、と思うかもしれません。
でも、タトゥーを入れる、ということは、「何があっても絶対に!!!戻ってくるんだぞ???」という烙印を押されるようにも、私の小さな心臓だと思えて、「うっ」となる気がするんです。

それだけ7人の覚悟がすごいんだということの証でもありますが、一方で「7人でなければならない」「ARMYの期待にこたえなければならない」という、「~しなければならない」という強迫観念が、彼らの中に強くあるように思えます。
そして、それが彼らをここまで押し上げた理由である反面、今、彼ら自身を苦しめている理由でもあるように思えました。
これはあくまでも私の個人的感想ですが、実際「防弾会食」でも、「グループ活動に強迫観念があった」とは彼らも語っていますね。

物事には二面性があります。
私は彼らのチームワークは素晴らしいものだし、学ぶべきものが本当にたくさんあって、かけがえのない物語で本当に尊いものだと思います。
一方で、その裏には、かなり強く彼ら自身を縛るメンタリティがあるのだろうと、むしろそれがなければ、そのチームワークは生まれなかったのだろうと、思います。

ずっと待ちたいけれど・・・

この前の「防弾会食」を見て、今一番苦しんでいるのがRMのように思えました。
彼は、真っ先に「7」のタトゥーを入れたことを報告してくれました。
ソロ活動をするにあたり、涙ながらに思いの丈を「機関銃のように」語りました。
そして「今はグループとしての曲を書くことができない」と語りました。
もしかしたら、彼がBTSとして戻って来られるようになるには、結構な時間が必要かもしれない、とも思いました。
私に推しはかることはできませんが、それでも私は、待ちたいと思いました。

これまで数々のグループを好きになってきましたが、ここまで深い、メッセージを発するアーティストには、いまだかつて出会ったことがありません。
音楽も好きですが、私は彼らの人間性そのものが好きだからです。
これまで私が培ってきた教養を総動員して、さらに新しい知識をどんどん増やさせてくれて、その上で深く考えさせられたり、そんなグループは今まで出会ったことがないからです。
そんな緻密なコンテンツを世に出し続けてきてくれた彼ら。
ネタが尽きても仕方ないくらい、これまでのコンテンツは英知の塊だと思います。

そんな彼らと同時代を生きていられることが幸運だと思います。
私の中で、BTSはもうアイドルの範疇ではなくなっています。

だから、ずっと待ちたいです。
でも、もし戻って来られない、という決断が万が一あったとしても、それはその時。
一人の人間として、エンターテイナーとしての彼らを、私も細く長くでも、追い続けられたらいいなあと思いました。

コメント

タイトルとURLをコピーしました